最近では「アッラー アクバル」ってよく聞く言葉じゃない?
実際には「アッラーフ アクバル」って聞こえるわね。
アッラー(神様)は偉大なり、っていう意味なんだけど、ずいぶん印象の悪い言葉として捉えられているんじゃないかしら?だって、こわい人たちが、自分の体に爆弾巻きつけて今から人ごみの中でスイッチ押します的な時に、そう叫ぶんだから・・。イスラムでは自殺も殺人も罪。こういう人達は、地獄行き決定ね。ムスリム(イスラム教徒)にとって「アッラーフ アクバル」は神聖な言葉で、日々のお祈りの時にも何度も口にする言葉なの。こんな時に言っていい言葉なはずないわ。
今日はムスリムたちのお祈り事情を話したいと思うの。
1日に5回の礼拝を毎日・・・って面倒じゃないの、なんて思わない? ムスリムの親から産まれた子供はムスリム。お祈りも子供のころからしてて、すっかり習慣になってると思うの。だから、お祈りをしないと落ち着かない、見ててそんな感じに思えるわ。
実際にお祈りをすると心も落ち着いて、冷静になったり、怒りが静まったり、リフレッシュできたりするみたいだから、毎日の礼拝も悪くないかもね。
ただ、お祈りの前に「ウドゥー」って言って身を清めるのよ。これ、大変。基本は流れている水で、手、口、鼻の孔、顔、手首から肘までを洗って、ぬれた手で髪、耳をぬぐい、最後に足のつま先からくるぶしまで洗うの。それぞれ、右からって決まりもあるのよ。
いろんな決まりがあってね、「ウドゥー」した後にお祈りまで少し時間があったから、横になってたら眠っちゃった、なんて場合はアウト!もう一度「ウドゥー」やり直し。
今度は、くしゃみが出ちゃった。これは、セーフ。でも勢い余って ブッ なんてオナラ出ちゃった場合はアウト。え?ダメよ、すかしっぺもダメ!音の問題じゃないわ。
お祈り自体も、動作や唱える言葉、回数も決まってるし、あ!1回やり忘れちゃったなんてときの追加のし方まで決まってるのよ。男性と女性では、微妙に手の上げ方が違ったりね。唱える言葉は、すべてアラビア語。アラビア語圏以外のムスリムたちも、アラビア語で覚えるの。
お祈りの中でクルアーン(コーラン)の章が唱えられるんだけど、アラビア語のものだけがクルアーンで、他の言語に訳されたものは単純に「クルアーンの解釈本」みたいな位置づけになってるのね。
だからムスリムなら誰でもクルアーンの章のひとつやふたつアラビア語で唱えられるってわけ。前にあったでしょ?バングラディッシュのダッカで、日本人の犠牲者も出た悲しいテロ事件。ムスリムかを判断するために、クルアーンを唱えさせたって。
お祈りは、こんな風に体勢を変えながらするの。中にはお祈りしすぎて、おでこを床に何度もつけるから、おでこに「祈りタコ」できちゃってる人もいるのよ。
ざっくりと何を唱えてるのかって言うと、 アッラーの偉大さだったり、アッラーを讃える言葉だたり、預言者への祝福だったり。お祈りへの呼びかけや、今からお祈りしますって唱えるときも、お祈りの中でも、そう、何度も「アッラーフ アクバル」を唱えるの。
それから、毎日の礼拝とは別に、個人的なこともアッラーにお願い事できるみたいよ。
あるエジプト人がこんなこと言ってたわ。「アッラーって、すごいんだ。願い事、ちゃんと叶えてくれたんだよ。子供のころからお金持ちになりたいってお願いしてたら、本当にお金持ちにしてくれた!」目をキラキラ輝かせながらそう話してくれたわ。
あら、案外お金の相談にも乗ってくれるのね・・・。
でも、私から見たら、子供のころから一生懸命勉強して、学生時代はアルバイトしたお金で教材買ったり、受講したり、出かけるときにはいつも重い参考書を持ち歩いてちょっとの隙間時間も勉強して、仕事も人一倍頑張ったってこと知ってるから、それはあなたの努力の賜物よ、って思ったんだけどね、本人からしてみるとやっぱりアッラーが叶えてくれたことらしいの。
そのとき思ったわね、まさに アッラーフ アクバル。神は偉大なり・・
純粋に神を信じ、祈りを捧げ、真面目に生きている人のほうが絶対的に多いのに、おかしな人たちがいることで、ムスリムへのたくさんの誤解が生まれているんだと思うの。
残念なことね。テロも、テロリストと呼ばれる人たちを生みだしている原因もなくなってくれることをお祈りするわ。
ところで・・
いきなり話は変わるんだけど、いつだったか友達と伊勢神宮へ行った時のこと。その友達、やけに長いのよ、拝んでる時間が。で、聞いたの。
私:なんか長いね・・
友達:だってまずは、住所から言わなきゃダメなんだよ。名前と。
私:まじで?都道府県から?
友達:そう。
私:郵便番号は?
友達:いらないと思う。
そんな会話したんだけど、これって本当?
日本の神様には、住所がいるの?